2008年7月 8日 (火)

恥を知らない面々(その3)

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拉致被害者5人を北朝鮮へ戻すべきだったという恐ろしいことを公言する国会議員がいる。
それは自民党の加藤紘一氏である。日本BS放送の番組に出演し、2002年に北朝鮮から一時帰国した曽我ひとみさんら拉致被害者5人に関し、同国に戻さないとした当時の政府決定について「国家と国家の約束だから、戻した方がよかった。安倍晋三前首相さんを中心に返すべきでないとなったが、その辺が今、日朝の間で打開できない理由だと思う」と述べ、官房副長官として永住帰国への方針転換を主導した安倍氏の対応に問題があったとの認識を示した。また彼は「戻していれば現状のようにはならなかった。『また来てください』と何度も何度も両国間を交流していた。一回返すと平壌は殺してしまうんじゃないかと言われたが、そこが安倍氏らとの外交感覚の差だ。そんなことができるはずがない」と述べたという。 

これに対して、2ちゃんねるの掲示板で指摘された主だった批判は次のようなものである。
「は? このおっさん頭大丈夫か???? 」
「加藤、エロタク、古賀、二階、福田、小沢、福島を北朝鮮に渡すから拉致被害者全員返せ 」
「なんでこんな糞が政治家やれてんの?」
「誘拐犯に自分の娘を返すって事か 」
「すごいなこいつ・・・・・・ 拉致された被害者を犯人の所に帰せって・・・・・・ 法治国家に居る立法をつかさどる人の言う事じゃないだろ・・・・・」
「脳に蛆でも湧いてるとしか思えん・・・ 何十年も拉致で引き裂かれたのに、また返せとか・・・売国ってレベルじゃねぇ・・・本当に日本人かこいつ?いや人なのか? 」
「泥棒に追い銭するような馬鹿政治家。 」
「誘拐犯から、やっと自分の子供を取り戻せたのに 誘拐犯が戻せと言うので、戻す馬鹿がどこにいる? 」
「国民を守るのが国家なのに。その国民に再度ならず国家へ戻るよう指示することが外交と思っている。」

要するに誘拐犯に一度返してやるからまた戻せよ、といわれそれを真に受け返そうというのとおんなじ考えだ。
自分が拉致された家族の身内でもそんなことを言えるだろうか。家族、親族のつながりを無残に引き裂かれ、しかもその国に拉致されたままに放置されている状況に対する
情勢判断の欠如は言うに及ばず北朝鮮という国が独裁国家であり、民主主義的発想が通用しない特別の国であることの認識について大きくずれている国会議員の言動には
開いた口がふさがらない。

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2008年6月22日 (日)

恥を知らない面々(その1)

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恥を知らない面々(その1)
『永世死刑執行人 鳩山法相。  「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。  またの名、死に神。 』
これは朝日新聞が6月18日の時事寸評コラム「素粒子」に書き込んだ記事だ。当然槍玉に挙げられた鳩山法相は「大変な問題だ。そういう軽率な文章を平気で載せるということ自体が、世の中を悪くしている」と批判、「司法の慎重な判断、法律の規定により、私も苦しんだ揚げ句に執行した。また(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」と強く抗議している。
これに対する朝日新聞の言い分は「『素粒子』は、世の中の様々な出来事を題材に、短い文章で辛口の批評をするコラムです。鳩山氏や関係者を中傷する意図は全くありません」というものだ。朝日新聞は、今回の宮崎死刑囚の執行について異例のスピードとも指摘している。
然るに現行の刑事訴訟法では、しっかりと死刑確定後6ヵ月以内の執行が定められている。これは決して異例のスピードではなく、死刑が確定されて2年4ヵ月が経過している。つまり今まで6ヵ月以内の執行をして来なかった法務大臣が法律に違反をしてきたということになる。
かかる事情を承知の上で朝日はこのような法務大臣に対する誹謗中傷記事を書いたわけだ。
ということは、法を遵守し法に則って施行する法務大臣にぺけをつけたことになる。法治国家においてそういう言論が天下の大新聞から出されるとは開いた口がふさがらない。
このような新聞社が言論の自由とか表現の自由とか言いたい放題で実はこのように法を曲げることを勧めているのだから何のことは無い。
第一死刑確定から2年4ヵ月も国民の血税でただ飯を食わしておいたことの方が問題視されてしかるべきなのにこのざまだ。さすがに日本より中国を愛する新聞社だ。人を誹謗中傷しても一切謝罪しない。人権を蹂躙しているのに気が付かないふりをする。とにかく困った新聞社だ。

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2008年6月17日 (火)

東京・秋葉原無差別殺傷事件(つづき)

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現行犯で逮捕された加藤智大容疑者の取調べが始まって聞こえて来るのは、容疑者の親が憎い、社会が悪い、会社が悪いそして殺すのは誰でも良かったという発言などメディア経由の断片的言葉だけだ。殺すのは誰でも良かったという容疑者の発言はこれまでに起きた類似の事件に共通している。これに対して評論家や学者もああでもない、こうでもないと相も変らぬ議論を重ねているだけで再発防止の決め手は見出しえないでいる。歩行者天国を中止するとか問題のダガーナイフの取り扱いを取りやめるとかいずれも後追いの弥縫策でお茶を濁す形で終わっている。他の事犯でも警備員や監視カメラの導入などいずれにしても防犯対策の域を出ていない。一方、検察庁では裁判向けの証拠調べそして罪をいかに問うかの対応に終始し、原因究明までには及ばないと思わざるを得ない。
そこで提案だが、検察による初期の取調べの段階から心理学とか社会犯罪学などの専門家を参加させて病巣の深層心理を抉り出し再発防止のための抜本的方策を講じるべきだと思うのだがいかがだろうか。もとより現在の刑法上の制度とか法律の改正を求められるのは論を待たない。いずれにしろ、今後も同じような凶悪犯罪が繰り返し発生するのをいかに防ぐか急務だ。

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2008年5月 1日 (木)

チューリップの花を切る不届きもの

Tulip010
トルコ原産のチューリップはターバン(チュリパン:tulipan:頭巾)に似ているところから名がついたと言われる。
その花言葉は、 博愛であり思いやりでありそして美しい目なのだそうだ。
最近どこの何者だか分からないがそのチューリップを頭から切り取り捨てる輩が現われた。
しかも1本だけでなく何十本も犠牲になったという。
チューリップを国花と定めている国はトルコはもとよりオランダ、ベルギーそれにアフガニスタンである。
チューリップを国花とするこれらの国がチューリップを無残に切り取られるのを聞いたらどう思うだろうか。
まるで自分の首を切られる思いに駆られるのではないだろうか。なさけなく、やるせない。

この輩は博愛なんぞ微塵もなく、人間への思いやりも欠落し、多分、美しい目どころか、にごった目をしているのではないか。どんな理由があるのか知る由もないが多分今はやりの殺人鬼がほざくごとくむしゃくしゃしてやった、ということだろう。それとも花の美しさに自らの劣等感と嫉妬の高まりを覚え、チューリップをやり込めたく錯誤したか。
ともかく花をめでる気持ちもないとは人間、心も大いに荒んでいることだろう。哀れな人間だ、いや人間というのもおこがましい。普通は荒んだ心が花をみて和まされるのだが、このような人の場合は花が人間の荒んだ心をみてあざけっているに違いない。
昔なら不届き千万なり、と返す刀で一刀両断にされるところだ。

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2008年4月23日 (水)

光市母子殺人事件の弁護士たち

光市母子殺人事件の広島高等裁判所による差戻し審は1審2審の無期懲役刑を破棄し死刑という判断がなされた。極悪非道の凶悪犯に何の罪もない善良な市民が、命を奪われ、その遺族が悲しみのどん底に落とされたのに、人権主義の建前の下に、常に加害者の救済にばかり重きを置き、被害者や遺族の気持ちを踏みにじり続けて来た司法制度にも、「正義」というものが残されていたことが分かったといえるのではないか。そのことは、判決後の記者会見で、「9年間という長い月日を支えてきたものはなんだったのでしょうか」という記者の質問に、遺族の本村洋さんの 「この質問は非常に難しい質問ですが、妻と娘の命を無駄にしたくないと思い、犯罪被害者としての活動は続けてきました。そして、裁判を最後まで腐らずに傍聴することができたのは、必ず正義が実現される、この国は絶対に人の命を軽んじ、不正義をまかり通せる国ではない、どこかで遺族の思いを司法が酌んでくれると信じてきたからだと思っています」との答えに尽くされている。そして「命を奪った者は自らの命をもって償う」という、ごく当たり前のことが、ようやく日の目を見ることになったともいえよう。
それにしても今回の裁判では加害者の21人という大弁護団による弁護活動の論点がことごとく完膚なきまでに否定されたことが画期的であったといえる。作家の佐木隆三さんが「弁護団の新主張は、まさに自爆行為だったと私は思っています。本当に被告のためになったんだろうかと。もっと被告の生きて償いたいという素直な心を前面に出して、ひたすら謝罪すべきだった」と述べているように被告にとってむしろ百害あって一利なしといえるのではないか。文字通り彼らは「KY」集団と言ってよいのではないか。

奇想天外、荒唐無稽な論理で詭弁を弄し、弁護のためには手段を選ばずとの考えがいかに社会的通念に背反しているか、また被害者家族の名誉と人格を傷つけ、あまつさえ冒涜と屈辱の限りを尽くし、思いやりの一片だに配慮しないKY弁護団は、その面目丸つぶれといって差し支えないだろう。一体全体弁護士としての資格が本当にあるかと問わざるを得ない。中でも弁護団長の安田好弘弁護士は今回の裁判でも神聖なる法廷でただ一人ネクタイも着用していない。法廷の尊厳を著しく傷つけている。安田弁護士は死刑廃止論者として夙に名を馳せているが、それは狂信性を帯びており、もはや死刑廃止狂信信者につける薬はないといわざるをえない。ちなみに彼は一昨年3月韓国で「「死刑制度問題で日本は低能児水準に他ならない。文化だけでなく人権と刑事訴訟の分野でも『韓流』が必要だ。」と、とんでもない発言を行っている。

さてそして犯人のことだ。彼がかって獄中から友人宛送ったという手紙の内容を再現しよう。

    ま、しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?
    知ってま。
    ありゃーちょうしづいてるとボクもね、思うとりました。
    知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは
    出すぎてしまった。
    私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが
    今の世だ。
    ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、
    私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
    犬がある日かわいい犬と出会った。
    そのまま"やっちゃった"・・・これは罪でしょうか
    5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、
    刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。
    キタナイ外へ出る時は完全究極体で出たい。
    じゃないと2度目のぎせい者がでるかも

この凶悪犯は、性的欲求を理性で抑えることは出来ず、万一無期懲役などという判決で8年で娑婆に出てきたときは再犯することは明々白々ということが出来る。
その犠牲者が出るのを未然に防いだだけでも今回の死刑判決の意味は大きい。

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2008年4月16日 (水)

光市母子殺人事件弁護士に対する懲戒請求と異議申出

再々度光市母子殺人事件の弁護士のことです。
昨年7月、差戻し審の第1回公判で女性を殺害後強姦したことを「死者を復活させる儀式」とか科学的にも常識的にも到底理解できない主張をし、被害者を侮辱し死者の尊厳を傷つけたことなど弁護士としてふさわしくないとの理由で弁護士法第57条及び58条に基づき懲戒請求を要求した。これに対し本年3月「弁護人はその職責を遂行する過程において、弁護活動の内容、方法等が仮に社会的批判の対象となるものであっても、それが何らかの証拠に基づくものであって、被告人の権利擁護にとって必要なものであると考えられ、かつ、当該弁護活動の内容、方法等がことさらに被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を害する目的に出たものでない以上、職責上当然に許されるべきものである」などの理由で懲戒するに当らないとの弁護士会の通知書を受け取った。以下は、弁護士会の判定に納得できないとして弁護士法第64条に基づき異議申出をした全文である。

(1)社会通念上通用しない弁護活動
懲戒対象弁護士は本事案弁護活動の一環として「被害者女性を殺害後姦淫したのは死者を復活させる儀式だ」と主張しそれを「それが社会的批判の対象となるものであってもそれは何らかの証拠に基づくものであって被告人の権利擁護にとって必要なものであると考えられ、・・・」として懲戒処分に相当しないとの判定を下している。
しかるに、かかる対象弁護士の主張は社会通念上通用しない言動であることは明らかである。もしその筋書きが弁護士の創作によるものではなく犯人自身の思いつきであるとすれば、それは社会通念上受け容れがたいものゆえふさわしくないとして諌めるべきものであろう。社会通念上いかにそれが不適切なものであるかは、次の例が何よりの証左になるものと考える。       
小職及び一般の国民がかかる弁護活動は荒唐無稽だと見做しているのみならず、対象弁護士の仲間である第一東京弁護士会副会長大澤孝征氏が公開テレビ番組の席上「弁護活動は常識の範囲で行われるべき」ものあって「かかる弁護活動は不可解で不合理な話しだ」また「事実を曲げようとしている」「同じ弁護士として恥ずかしい」(以上2007年5月25日TBS系「みのもんたの朝ズバ」等の番組より)とも発言している。
加えて大阪弁護士会の橋下徹弁護士(現大阪府知事)もかかる弁護活動は常識を逸脱している、との考えで当該弁護士等に懲戒請求を申請することを促している事実がある。
 また懲戒処分に相当しない理由として「当該弁護活動の内容、方法等がことさらに被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を害する目的に出たものでない以上、職責上当然に許されるべきものである」と追認主張しているが、よしんば「当該弁護活動の内容、方法等がことさらに被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を害する目的に出たものでない」とはいえ、結果として被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を著しく害していることは明々白々である。
 一方、裏を返せば女性を乱暴し死に至らしめた場合、乱暴したのではなく生き返らせるための儀式だったといえばよいことを弁護士会は容認したことになるが、そのことは将来安易に模倣する性犯罪者が多発する恐れなしとしない。その際、対象弁護士はその責任を免れないであろう。
(2)被害者家族の名誉・人格の侵害と冒涜・侮辱
弁護士法第一条で「弁護士は基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とうたっている。犯人弁護のためには手段を選ばず、しかもその弁護活動が被害者の人権を無視し、あまつさえ数多の冒涜と侮辱にさらすことはかかる弁護士理念あるいは使命に背反するものである。
被害者あるいはその家族の名誉、人格その他の権利を害し、冒涜と屈辱をもたらしている懲戒対象弁護士の言動の例は法廷以外にも枚挙に暇がないがここでは最新の例として去る2008年(平成20年)4月3日号の週刊新潮誌に掲載された記事を別添するのでご覧いただこう。
その内容詳細は記事の通りであるが、マスメディアでさえ、「弁護士たちの鬼畜発言録」として糾弾している。その事実を対象弁護士並びに今回懲戒処分しないと決定した第二東京弁護士会会長は何と捉えているのか聞きたい。記事の中での弁護士たちの言動はとてもじゃないが尋常の沙汰でないとしかいいようがない。被害者家族にとっては文字通り傷に塩を塗るたぐいといわざるをえない。
鬼畜とは辞書によれば「人非人」と同じで「人の道に外れたことを平気でする人」と解説されている。記事の中では対象弁護士中、岩井信弁護士の名前が見当たらないがこの記事をもってしても少なくとも残り3名の弁護士は弁護士としての人格・資質に欠落があり資格にふさわしくないと見做さざるをえない。
(3)「極めて大量」の懲戒請求事実
今回受領した懲戒しないことの議決書の中に「本件事件に関連して4人の弁護人の全員又は一部の者に対し下記懲戒事由の全部又は一部を懲戒事由とする極めて大量の懲戒請求が、本件懲戒請求とほぼ同時期に申し立てられている。」との記載がある。
「極めて大量」の懲戒請求があることをいみじくも認識しつつそれを一方的に無視し懲戒に相当しないという判断は謬見といわざるをえない。
一説には少なくとも7,000通以上の懲戒請求があったといわれている。7,000人の国民が署名をして懲戒が必要であると申告している、その事実を看過することは許されないのではないか。
   
最後に以下付言することをお許し頂きたい。
何物にもかけがえのない命を何の理由もなしに奪い去った極悪非道の犯罪者弁護のためには、人権主義を盾に、手段を選ばない弁護の限りを尽くし、他方、何の落ち度もない最愛の家族を無残に殺され、悲しみのどん底にある被害者家族は完全に無視どころか冒涜と屈辱の限りを尽くし、人間性のかけらも持ち合わせないがごとき弁護活動がはびこるならば社会正義の実現はおろかそれを維持することさえ難しいといわざるをえない。
社会で特権階級に位置する弁護士であればこそ厳しく糾弾されねばならないと考えるものである。
なお小職は巷にいわれるごとく既述橋下徹弁護士の煽動にあおられ懲戒請求を行った事実はなく、単に一般に公開された請求フォーマットを便宜上利用しただけで第三者の意見に左右されることなく、自らの意思で懲戒請求を行ったものであること念を押しておきたい。
以 上

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2008年3月24日 (月)

無差別犯罪の抑止力について

またまた無差別殺人が発生した。茨城県土浦市で8人が殺傷された。一人死亡、二人重傷という。犯人は金川真大という24歳無職の男性だ。
被害者はたまたまその日、そのときにその場にいただけで犯人とは何のかかわりもないのに尊い命を奪われた。これを単に運が悪かったというだけで済ますことが出来ようか。何故こんな運命に遭遇しなければならなかったのだろうか。全く不条理の世界といわざるを得ない。
そしてこれから長期にわたって司法的対応のためこの犯罪者に多額の社会的費用を投じることになる。犯人を出来るだけ早くこの世から抹殺することがその社会的コストを低減することになりそれが社会に寄与することになるのにそれもままならない。社会はそれでもこの犯罪者の存在価値を認め命を永らえようとするのだろうか。何ゆえに社会はかかる極悪非道の犯罪者を釈迦りきに保護しようとするのだろうか。そのことも不条理・理不尽といわずしてなんといおうか。
人間が同じ人間に何の理由もなく命を奪われる、こんな悲劇は二度と起こしてはならないという言葉がむなしく聴こえるだけだがされば二度と起こさない犯罪抑止力なんてこの世に期待できるのだろうか。一つだけ考えられる可能性は教育に他ならない。人間が人間に殺傷を加えるのはあってはならないことだと徹底的に教え込むことだと思う。金川真大(かながわまさひろ)という犯人の名前を見ると姓名とも左右対称で思うに両親は円満あるいは人間として偏りがないということを願って命名したのではないだろうか。学校教育のみならず家庭においても人を傷つけてはならないと親が子供を諭すなどとはとんと聞いたことがない。無差別殺人のみならず犯罪そのものの抑止力について考えるべきではないか。ここにも急がば回れのことわざが有効と思えてならない。
なおこのような重大な犯罪を犯したのに犯人が心神喪失とか心神耗弱であれば刑法第39条はその責任を問えないと規定している。誰がどのようないきさつでかかる法律を作ったのか知る由もないがかかる犯罪者は多かれ少なかれ精神的に異常者であると断じざるを得ない。さればそのような法律が存在すること自体矛盾があると思えるのだが。

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2008年3月16日 (日)

再びドイツ見聞記(その3)

ドイツのスーパーマーケット
ドイツのスーパーマーケットも便利になりました。昔は土曜日は2時まで、そして日曜日は休みと決まっていました。現在は日曜日は変わらず休みですが土曜日は普段と同じく朝7時から夜8時まで営業しています。
ちなみにパン屋さんも早朝7時から営業していますので朝はパンを常食としている人には便利ですね。ドイツにはパン屋はいついつまでに仕込みを行いいついつまでに焼き上げいついつまでに販売をせよというパン屋法というのがあったのですが今はどうなったのか知りたいものです。
大きなスーパーになると同じ商品でもメーカーごとに棚があってそこに並んでいますから一度見てああないわとあきらめる必要はありません。またたまたま行き付けのスーパーに臨む商品が見つからなかったときでも他のスーパーへ行くとおいてあることがしばしばです。野菜果物売り場ではバナナの星が出たものは無料で誰でもその場で食べても良いところもありました。しかしなんといってもワインの国ですからワインは安いものから高いものまでより取り見取りです。安いものは1瓶720mlで1.69ユーロ(約270円)というのがありましたがワインには付加価値税が19%かかりますから税抜きではなんと200円ちょっとということになります。本当にワインは水より安いのです。通常これらの超廉価ワインは料理酒として利用しているようですがワインとして飲んでもそんなに違和感はありません。なお一般の食品にかかる付加価値税は7%ですから日本で消費税率を上げるとしても食品とそれ以外は別立てにすべきでしょう。
アメリカと同じように買い物のカートは大変大きくて日本のスーパーでは大きすぎて他の買い物客の邪魔になると思います。そこで少量の食料品などを買い込むときどうするかというと自分が持ち込んだ買い物袋に入れレジでベルトコンベアに取り出すということをやります。初めはなんだか万引きでもするようで気が引けますが・・・。ちなみにドイツでも環境問題がうるさくなっており買い物袋(マイバック)を自分で持ち込む人が多く袋も各スーパーが自社特有の買い物袋いわゆるエコバックを用意しております。なかなか気の利いたデザインで一枚1ユーロ(約160円)で手に入ります。
レジの係りは昔は若くてかわいい子が沢山いましたが今は皆年寄りのおばあさんが多いようです。それでも自分の会計が来たときはグン・ターク、南の地方ではグリュス・ゴット(こんにちは)と挨拶してくれます。週末に機嫌が良いときなどシェーネス・ボーヘンエンデ(良い週末を)といってくれます。この言葉を得たときは、売り子に人種差別がないか、こちらが支払いなどでうまく対応したかのどちらかでしょう。

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2008年3月10日 (月)

再びドイツ見聞記(その2)

バスのこと

出発点では出発時刻看板のほか液晶表示で、バス番号、行き先並びに出発まで残り何分かの表示がある。
ただし各バス停留所にもこの表示がある場所があるが故障している場合が多い。

電車などと同様、乗るときドアを開くのは乗車する人が行い(ドアの付近に設置されている直径5センチほどの円形版に手を触れると開く仕組み)閉める作業は運転手が行うことになる。ただし下車するときの開閉は運転手が行う(勿論ボタン操作による自動開閉)。
切符の購入はバス車内に取り付けのATMで購入する。回数券などは日付と乗車時間を刻印する機械があり各自刻印する。つまり料金の支払い等に関わることはバスの運転手は一切関わらないということ。また電車でも同じだが乗客が有効な切符を所持しているか不正乗車をしているかなどについて運転手は一切の責任がないということになる。
日本の車両と違い乗降扉は一箇所ではなく数箇所(2車両連結車では運転手の際のドアとあわせ全部で5箇所)があり開閉に注意を集中させればよいことになる。

新型車両の車内では現在地を含め行き先とともにストップ箇所の停留所名を常に4駅分だけ液晶表示される。
降りる人がボタンを押すと次の停留所でバスは停車するとの表示が出、また乗り換えバスがある場合はそのバス番号が表示される。
なお車内の数箇所に設置されたカメラの映像が運転手の頭上に表示され安全確認が行われている。

各バス停留所にはその停留所から最終行き先と各停留所の停留所名が表示されている。
ということは途中の停留所では出発からその停留所までの停留所名は一つも表示がない。
つまり利用者はその停留所から最終行き先までの停留所名が分かればいいわけでそのバスがどこから出発してどこを経由してきたかは知る必要がないということになる。

なお乳母車(ベビーカー)も乗れるよう乗降ステップはバリアーフリーに近い低床となっており車内にはそのスペースが設置されている。少子化が取りざたされる日本でベビーカーをいちいち折りたたむことなく乗降が出来るよう配慮しないのは何故だろうと思わざるを得ない。

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2007年11月29日 (木)

利用者の立場に立っていない成田空港

ドイツへ赴任帰国する息子家族を見送りに久方ぶりに成田空港へ行った。我孫子駅からJR成田線で成田へ行きそこで空港行きの電車に乗り換えるわけだがとにかく成田へ行く電車が日中は2本しかなくしかも成田で空港行きに連絡している電車は1本だけだ。でないと京成電車に乗り換えるるしか手立てがないという旧態依然のさまは成田空港開港以来続いている。成田から空港までの電車は10数分だがその間車内アナウンスは次は空港第二ビルそしてその次が終点の空港というだけで、空港第2ビル駅で下車する人たちに対する案内は何一つない。第2ビル駅と空港駅を利用する客は航空会社によって分かれているわけでどこそこ航空利用の乗客はこちらの第2ビル駅でそしてどこそこ航空利用の乗客は次の終点成田空港駅でお降りくださいというアナウンスが絶対欠かせないはずだ。
恐らくは終点成田空港駅で降りるべきところを間違えて一つ駅を早く降りてしまう外国人がいるのではないか。
空港へ行く電車の車内放送としては最低必要な案内アナウンスだろう。
そして今度は終着成田空港駅到着。降りたら例によって身分証の提示を求められる。空港内に入るのに身分を確かめられるのは世界広しと言えども成田だけではないか。成田闘争の残滓が依然残っていて警備等(年間警備費は約100億円とか)に多大の税金を無駄に使っている見本というわけだ。
さて、今度は各航空会社の出発ゲートへ行くわけだが今度は北ウイングと南ウイング別れている。さてどこそこ航空会社はどちらのウイングかを知ろうとしても案内板がない。とにかくチェックインカウンターは4階というわけでエレベーターを利用するがエレベーターの中にも何の案内表示がない。仕方がないから闇雲に4階のチェックインカウンターへ行きそこで調べるってわけで不親切そのもの。利用者のことを念頭におかず勝手に空港作りをする典型だ。しかも4階ではチェックインカウンターの近くに以前据えてあった待合のいすが全部取り払われていた。
チェックインを終えやれやれと見送る人と旅発つ人との少しの別れを惜しむ空間もないという情けないお粗末空港、それが日本の世界へ向けた玄関成田空港である。

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2007年8月16日 (木)

ホープレスミートの次は黒い恋人たち

またまた食品の偽装事件が出た。表向きは賞味期限の改竄というがナント同じ会社が作っているアイスクリームに大腸菌群が見つかっていると言う。
その会社の名前は「石屋製菓」。名前を聞いただけではハテ、何を作っている会社だろうと思うのが普通。会社名は知られていなくともチョコレート菓子「白い恋人たち」で有名な北海道の会社と言えばあ、あれね、となる。
白い恋人たちに大腸菌群とくればそのギャップはあまりにも大きい。清廉潔白に汚いの代名詞でもある大腸菌の組み合わせ。アイスクリームだけでなくチョコレートにも大腸菌をまぶしていたのだろうか。
ちなみにこのほか、同社製造の「バウムクーヘン」の一部から黄色ブドウ球菌が検出されたことも明らかになっている。
ところで北海道と言えばさる6月に牛肉コロッケに豚肉を混ぜ、色の悪い肉には血液をまぶして
売っていた食品加工会社の「ミート・ホープ」がある。事業の継続すらホープレスになった事件の記憶は
未だ新しい。そしてもっとさかのぼると2002年1月に牛肉の産地を偽装して補助金をだまして搾取していた「雪印乳業」という会社がある。
何故北海道の会社がかくも同じ過ち、いや不正を行うのだろうか。
僕が印象に残った共通項が一つある。それは、三社とも社長に品性が見られないと言うことである。
社長名を書いたら訴えられそうなので書かないが、テレビに現れた社長はいずれもあれこんな人が社長?と一瞬思うようななさけない姿なのだ。石屋製菓の場合でも白い恋人たちとはとてもじゃないがイメージが合わない。
会社の大小に関わらず代表取締役社長というのは色々な苦難を乗り越えて功名乗り遂げているのだから
それなりに貫禄と言うか奥深い品性を感じるものだがテレビに映るこの三人にはそのかけらも見られない。
商品を棚から引き払うシーンがテレビで放映されているが、このような社長は企業名鑑録からも撤収すべきではないか。

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2007年7月26日 (木)

偽装国家中国の本質

早坂隆氏の著「世界の日本人ジョーク集」にこんなジョークがある。
「ある酔狂な大富豪が言いました。もしも青いキリンを私に見せてくれたら莫大な賞金を出そう、と。
それを聞いたそれぞれの国の人たちはこんな行動をとった。
イギリス人はそんな生物が本当にいるのかどうか徹底的に議論を重ねた。
ドイツ人はそんな生物が本当にいるのかどうか図書館へ行って文献を調べた。
アメリカ人は軍を出動させ世界中に派遣して探し回った。
日本人は品種改良の研究を昼夜を問わず重ねて青いキリンを造った。
中国人は青いペンキを買いに行った。」

ジョークとばかり思っていたらナント中国でこれに全く似通った話しが出てきた。スイカに赤インクを注入して赤く見せているというもの。他にもとうもろこしに黄唐辛子で着色、荒野を緑化地と見せるために緑色のスプレーを噴霧したというもの。見栄えを偽装だけと思っていたらナント今度は偽装食品が出てきた。水とアルコールそしてタンニン・香料を混ぜてブドウが一切入っていないワイン。ブランド茶に安物の茶葉を混ぜる。そして極めつけはダンボールを混ぜて作った豚マンだ。これは報道後メデイァの捏造ヤラセだとしているが本当はどうなのか怪しいものだ。
偽装偽造は食品だけかと思ったら今度はごみを入れてつくった枕、工場の廃液から作られた偽塩や、鉛が滲み出た土鍋など。更には発がん性染料を使った子供服、毒性物質の入った練歯磨き、塗料に鉛が入ったおもちゃ、発火の恐れのある懐中電灯、強度不足のタイヤチューブなどなど出るは出るは、とどまるところを知らない。

土用の丑の日が近いというのに日本人の好きなウナギ、エビなどの中国産洋食魚介類について抗菌剤とか
発ガン性が指摘されているマラカイトグリーンなどが微量ながら米食品医薬品局で検出され輸出入差し止めになった例。そして数々の加工食品に見つかった大腸菌。
これを単に中国の品質管理の問題と片付けていいだろうか。いや違うといわざるをえない。
中国に一体全体今何が起こっているのか。答えは簡単だ。
表向き資本主義とか市場経済主義を唱えているのに中身は共産国家で変わっていないことを忘れてはいけない。共産主義の中に資本主義を織り交ぜたことから金が唯一無二の信じられるものになったということだ。
儲かればいい、他人がどうなると知ったことじゃないということだ。道徳的・倫理的に善悪の区別をつけられない世界。全ては金金金。人治国家が慌てふためいて法治国家のまねをしようとしているが追いつくはずも無い。
あとからあとからかかる問題は噴出する。そして共産主義の最も醜悪な一面である汚職があらゆる産業ではびこる。それが宿命である。とうとう当局は見せしめのため賄賂を貰ってニセ薬を認可した前国家食品薬品監督管理局長死刑判決即処刑。
日本の輸入業者はそんなリスクを冒してまで何で中国に金をとうじるのだろうか。スーパーで食品はもとより鍋釜とか食器のたぐいで日本製を見つけるのが難しくなってきた。我が家では中国製あるいは原産の食品は絶対買わないことにしている。たとえばラッキョウのように中国原産ものより3倍高くても日本製を買い生産者に何とか生残って欲しいと思っている。

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2007年7月21日 (土)

従軍慰安婦問題抗議

アメリカに対する抗議文書
マイク・ホンダ氏、ぺロシ下院議長、ワシントンポスト紙それに在日シーファーアメリカ大使に送ったもの。
(メールあるいはファックスで送達。ただし夫々文面は変えている)

Re:House Representatives Resolution on so-called "Comfort Women".

I am a Japanese citizen.I strongly protest against US House Representatives Resolution on so-called "Comfort Women".The reason is follows;
Firstly,I dare say US Government is in the lack of fareness. US Government claimes Japan basing on the testimony from only those of ex-prostitutes and has no any verification through communication with Japan-side like a Trial in absentia.
Secondary, if US Government still force to Japan to apologize on this issue, US Government should let revival those WWⅡ Criminals executed death by hanging by Tokyo Tribunal of War Criminals, since all of present Japanese citizens have nothing to do with this issue.
More than 200,000 innocent Japanese citizens were murdered by US with A-bomb in the WWⅡ,and now US Government is going to charge mental burden of crimes to Japanese even to Japanese remotest descendants who has no responsibility for this issue.
I dare say the resolution of US House Representative on this issue causes "shame" not only to Japan but also to US Government in the long future to come.
Reconsideration on this issue by US Government will be highly requested.
Please accept my Apology not for this issue but for my poor English.
(要約)
アメリカ下院での決議は慰安婦(売春婦)のみからの聴聞に基づくもので日本側の意見を聞いていない。それは不公平だ。もしアメリカが日本に謝らせたいのであれば東京裁判で絞首刑に処した戦争犯罪人を生き返らせて謝罪させなければならない。なぜなら現在の日本国民は本件と一切関わりは無いからだ。
アメリカは第二次大戦中原爆で20万人以上の無垢の日本市民を虐殺した。今またアメリカは何の罪もない日本国民の子々孫々にわたり精神的苦痛を与えようとしている。
下院の決議は単に日本に対し恥を与えるばかりではなく、いずれアメリカに対しも恥となるであろう。

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2007年6月30日 (土)

常識感覚を失った弁護団

光市母子殺人事件の差し戻し控訴審が6月26日から3日間広島高裁で開かれた。
弁護人の被告質問で「危害を加えるつもりは無かった」「弥生さんを通して(亡くなった)実母を見ていた」
「甘えるつもりだった」として乱暴目的だったとの検察側主張を否認。また「弥生さんの動きが無くなり右手が
首を押さえていることが分かった」と殺意も否認。さらに長女夕夏ちゃんについては頭から床にたたきつけたとする
検察側の指摘に対し「赤ちゃんが泣いている原因を作ったのは僕なのであやそうとしたが力を入れて抱っこすることができず滑るように落ちていった」と説明し過失致死だと主張した。
また犯人は

・「赤ちゃんの遺体を押し入れの天袋に隠したのは、ドラえもんが何とかしてくれると思った」
・「赤ちゃんをあやそうと抱いたら、手が滑って頭から落ちた」
・「死んだあとで服を脱がしたのは、女性だったら恥ずかしくて反応するかと思って」
・「精子を女性の体内に入れたら、生き返ると本で読んだ」

などと発言している。
いわばこれまでの前言を完全に否定する形になったわけだが全ては21人の弁護士による操り人形になったようだ。
それにしてもこの21人の弁護士というのは通常の常識感覚を持っているのだろうか。弁護のためには手段を選ばないという姿勢は分からなくも無いが一般常識が根底にあるべき司法世界にあって漫画とか架空の世界を持ち出してなりふり構わず弁護活動を組み上げる態度は弁護方針の一環とはいえ常識観念を逸脱し非常識そのものだ。
他の弁護士はこのような弁護姿勢を見て聞いて何の違和感も持たないのだろうか。
遺族の本村洋さんが「聞くに堪えない3日間だった」と公判終了後の記者会見で述べているがそれが常識世界の
言葉だろう。
時あたかも朝鮮総連本部の建物取引で日弁連の元会長が絡んだとの報があり、弁護士そのものに対する
懐疑心が生じたのは小職だけであろうか。これでは無残に犠牲になった弥生さんも夕夏ちゃんも浮かばれまい。
仏教用語の四苦八苦という四字熟語がある。その中の一苦に「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉があるが
会いたくない人に会う苦しみと解釈されている。21人の弁護団の首謀者ともいえる「安田好弘」という人物こそ
怨憎会苦(おんぞうえく)に相当する人間だ。

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2007年5月25日 (金)

いよいよ狂信性を帯びてきた弁護士

山口県光市で1999年に起きた母子殺人事件で殺人や強姦致死などの罪に問われた当時18歳の元会社員(26歳)に対する差し戻し控訴審の初公判が24日広島高裁で開かれた。
この事件についてはこのブログでも昨年の4月28日及び6月26日に取り上げたが弁護士の弁護方針はいよいよ奇奇怪怪の様相から狂信性を帯びてきている。今回はなんと21人の弁護士がついたという。あるブログでは精神鑑定が必要なのは犯人よりも弁護士ではないかとさへ皮肉られている。今回の控訴審で21人の弁護団が主張した内容は次の通りであったという。
・水道屋の格好したのはコスプレ趣味 (だから決して計画的な犯行ではない)
・姿を消した母親の寂しさを紛らわす為、抱きついたら偶発的に起こった事件
・ママゴトのつもりで遊んでた (床に叩きつけまくるママゴト遊びらしい)
・泣き止ませようと思って首にリボンをちょう結びにしてあげたら死んじゃった
・女性に抵抗されたから首を押さえたらなんか死んじゃった  (だから、傷害致死です)
・性行為は被害者の生命を救うための魔術的な儀式であり被告は精子が人間を復活させると信じていた
・精神の発達が遅れている 12歳児程度 (少年法にもあるとおり、18歳未満の死刑は出来ない)
弁護側はだから「著しい精神的な未発達がもたらした偶発的な事件」といい、強姦目的や殺意を否定し「傷害致死」にとどまる、と主張したという。
何とか死刑の裁定を否認に導くべく窮余の弁護活動だろうがここまで来るともうあきれてものも言えない。被害者の本村洋さんが裁判後の記者会見で「怒るとかいかるとかの思いを通り越して失笑をかった」と述べているが全くその通りだろう。
こんな弁護人の理屈が殺人事件で法廷の場で通るとすればもはや人間の良識とか社会正義を疑わざるを得なくなる。狂信的な宗教の世界での理論ではないか。
そもそも弁護士法によれば 「第 一章 弁護士の使命及び職務 で(弁護士の使命)
第一条   弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2  弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。
(弁護士の職責の根本基準)
第二条 弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない。」とうたわれている。
以上弁護士法の基本理念に照らしても本事件の弁護人安田好弘、足立修一などは弁護士としての資質を疑わざるを得ない。

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2007年5月20日 (日)

長久手(長くて)物語

長久手(長くて)物語。
撃たれた警官を助けるのも長久手(長くて)
人質を奪還するのも長久手(ながくて)
SATが待機するのも長久手(長くて)
SATが突入するのも長久手(ながくて)
指揮官が指令を出すのも長久手(長くて)
犯人を説得するのも長久手(長くて)
テレビの報道も長久手(長くて)
付近の住民が家へ戻るのも長久手(長くて)

愛知県長久手町の元暴力団組員による篭城拳銃発砲で一人の警官が死亡、一人の警官が重傷という結末で幕を閉じた。こんな悪質な事件に丸一昼夜も要ししかも貴重な人名を失うなど甚大なる被害だ。
このため動員された警官が何名か知らないがその費用はどれ程のものか。しかも、これから長い裁判が税金の負担で続き、かたや犯人は刑務所でのうのうと衣食住付で暮らす。全て善良なる国民の負担だ。
人権屋に言わせれば目をむくかもしれないが、早いとこ催涙ガス弾でも打ち込み犯人を確保あるいは場合によっては射殺したほうがいかに国民の負担は少なくなるか考えても見ろといいたくなる。少なくとも女房に逃げられたからといって銃を振り回し人を殺し傷つけ付近の住民にも恐怖を与えたこのような用なしの人間に僕が収める税金は使って欲しくない。

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2007年1月 8日 (月)

妹バラバラ殺人事件

正月早々祝うべき社会の窓が猟奇事件で開けられた感じでしたね。この事件を少し考えてみました。
まずこの事件の舞台となった兄弟の家庭環境です。被害者の妹と加害者の次男の両親が歯科の開業医で長男も歯科大学に入学している。そして、両親の両祖父も歯科医だという。典型的な歯科医一家で経済的には何一つ不自由が無い家族であったに違いない。なのに、加害者の次男はその歯科家族の一員たるべく歯科大学に入学を図るも3回失敗し現在3浪中である。
さてこんな家族で何が起こるか。おそらくは、家族間の話し合いは殆ど無かった(実際この兄弟間でも3年もの長い間口を利いていないという)であろうし、とりわけ母親も父親と一緒に歯科医として日々仕事をしていたとすれば、子供に対しどう接していたかが気になる。幼いときから長男とは異なり次男には愛情が殆ど向けられなかったことは容易に推察される。
そして、次男はそういうプレッシャーの極限状態にあったとき、被害者の妹から「君は夢が無いね」といわれ、それがマッチに火を瞬間的に灯しあとは前後の見境も無く妹を殺すにいたった、と報じられている。しかし、それだけであろうか、おそらくは被害者はもっともっときつい言葉を投げかけたのではないか。例えば、頭が悪い、チビだ、ダサいなどなど。そのあとは、人間ではなく悪魔の所業となる。殴る、浴槽に顔を沈める、首を絞める、そしてついに死体をバラバラに切り刻むという猟奇事件に発展する。
そして気になるのは、死体をバラバラにして、髪を切り、胸部と下腹部を切り取るというおぞましい所業である。
切り取った部分を流し台のディスポーザーで処分し性別の判別を困難にしたあるいは激しい恨みを示す行為だなどとも報じられている。ここで指摘せねばならないのはこの加害者が性的欲求を普段どのように処理していたか、ということである。発散する趣味も無ければ恋人もいないさらに日常性欲を処理する仕方も知らない、となればどうなる?精神分析者によれば、殺人を犯し死体を切り刻む過程で性的興奮を覚えるケースがあるという。今回もそのケースに当てはまるかもしれない。性的陵辱行為はなかったんだろうか。
不思議なのは、殺人と死体をバラバラにした現場で血液反応が一切出ていないという報道だ。加害者が四方八方に飛び散ったに違いない血液を一人でそんなたやすくふき取ることが出来るだろうか。もし、そうだとすれば、その冷静さにはもっと別な意味で恐怖を感じる。人間がそこまで冷酷になれることがどうしても理解できない。

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2006年8月17日 (木)

偏狭なナショナリズム

河北新報社 報道局長 殿

冠省

予予より貴社の左翼的反国家的姿勢には疑問を持っておりますが今回も貴社の社説「小泉首相の靖国参拝/ナショナリズムを抑えよう」にははなはだ納得がいきませんので一筆申し上げたく筆を執りました。
あらかじめ申し上げておきますが小職は右翼でも左翼でもなく、単なる平凡な一市民に過ぎません。
が、少なくとも一企業で世界を駆け巡り外交とは、国益とは、愛国心などなど現地人とよく話し合った経験を人以上に持ち合わせていることは申し上げておきたいと思います。

さて、貴社が主題の社説で「
偏狭なナショナリズムの台頭」を懸念しているといっておりますが何もって偏狭なナ ショナリズムといっているのでしょうか。小泉首相の靖国参拝を評価する、といっただけで偏狭なナショナリストとなるのでしょうか。あるいはまた石原東京都 知事のような人をナショナリストというのでしょうか。あるいはまた、多くの新聞やテレビが世論調査と称して国民の過半数以上が靖国参拝に批判していると報 じているのにネットによる投票では明らかに7割以上の国民が賛成している事実がありその人たちも偏狭なナショナリストと定義付けようとするのでしょうか。
多かれ少なかれ自分の国を愛するのは当然のことであり、己の国を愛するより先に他国を慮れということこそ、河北新報社のような反国家的思 想に汚染された国際主義者といえば聞こえはよいが現実性の無分別から招来する暴論といえるのではありませんか。むしろ今日の日本人は過去の自虐的呪縛から 脱皮し健全なる愛国者(ナショナリスト)に変貌しつつあるというべきでしょう。それとも河北新報はそういう人たちが全て偏狭なナショナリストと決め付けよ うとしているのでしょうか。

今回の北方領土近辺でロシア軍により日本漁船が銃撃を受け乗組員が殺害された例は言うに及ばず尖閣諸島と東シナ海ガス田そして竹島など領土と天然 資源をめぐる紛争に加え漁業資源の奪い合いなど日本を取り巻く近隣諸国の乱暴狼藉は目にあまるものがあることについては貴社はどう考えておられるのでしょ うか。このような紛争は経済が成長すればするほど資源を食いあらす中国の動向に鑑みてその軋轢は増大するこそすれ決して少なくなることはないことは目に見 えているのです。そのような紛争をどうやって解決していくつもりでしょうか。「厳重に抗議する」と念仏のごとく叫んでも決して解決するわけではありませ ん。外交による、とか話し合いによるなどときれいごとを並べても相手国に適当にいなされるだけでしょう。

さすれば、今国民として何が必要か、それはむしろ国民が一丸となったナショナリズム言い換えれば、(この部分は貴社にとっても刺激的過ぎるでしょうからこ こでは割愛しますが)があってこそ、それをバックとした強力な外交力でしょう。外交とは国家間で険悪な状態に立ち至ったときに初めて始まるといっても差し 支えないでしょう。

失礼ながら靖国問題にしても内政問題であるとの軸足も持たず全国紙の受け売りのごとき記事を御旗のごとく掲げさもそれが正論であるがごとく公共の機関で発 言するのは
未だ勉強不足のそしりをまぬかれない、と指摘しておきたいと思います。

不一

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2006年8月 3日 (木)

ふじみ野市営プールの事故

ふじみ野市営プールでの小学生死亡事故に関しては市及び管理会社の管理面でのずさんさが問題とされるが見逃されている側面があると思えてならない。
それはいわゆるお役所の工事の入札制度で入札で工事価格を低く抑えることが至上命令になり結局安かろう、悪かろうの事態を招いているのではないか。第一にあの排水口のふたの設計である。どうみてもねじとかビスで留めるというのは水中にある工作物であることを考えると腐食しやすいはずだし、挙句の果てはプールとふたとのビス穴がずれておりしっかり設置されていないお粗末さだ。プール設計およびその工事会社と市との工事契約に大きな問題ありだろう。同じことは、プール管理会社と市との管理契約が入札制度に基づいてなされていることで市側は単に入札金額が最低の会社を指名しているわけでその会社の管理能力なり実績などを十分評価した上での契約であったかどうか疑わしい。
結局入札で税金を節約した付けがかけがえのない命と賠償という大きな負債となって帰ってくるというお役所やっつけ仕事の一例を見ているに過ぎないと思う。

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2006年6月27日 (火)

松本和子早稲田大学教授

東京大学理学部化学科卒、早稲田大学理工学部教授、マサチューセッツ工科大学客員教授内閣府総合技術会議議員、理学博士.。さてこの人はどなたでしょう?
松本和子さんです。松本教授を代表者とする遺伝子解析の研究プロジェクト向けに文科省から振り込まれた研究費の一部1472万円分を自分名義の口座に振り込ませそのうち900万円を投資信託に投資、残りの約500万は「学生の旅費や実験材料の購入に当てた」という。架空取引疑惑:02~04年の研究費研究費の一部2300万円が試薬代などとして松本教授が非常勤取締役となっている企業に支払われていたが、納品書が 確認できていない。加えて論文捏造疑惑:外国人研究員との共同研究でデータ捏造があったと告発あり。
交友の一人としてこの人に次の言葉を進呈したい。
「えげつない」「あさましい」「さもしい」「破廉恥」そして「なさけない」。

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2006年6月26日 (月)

光市母子殺人事件を考える

    母子殺害事件で最高裁は、二審の無期懲役判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻した。殺意は無かったとかじゃれていて偶然手が被害者ののどに触り首を絞める形に なったとかとても冗談としか言いようの無い詭弁を弄しどうしても死刑を逃れさせるための主義主張に固執し弁護士としての常道を踏み外している安田好弘、足 立修一の両弁護人は殺人及び強姦致死は成立せず、著しく正義に反する事実誤認があり判決は不当。2審の量刑判断を誤りとした点も判例の死刑適用基準を大きく逸脱し、死刑の適用は不当などとほざいている。一方、北海道新聞とか沖縄新聞など一部のマスコミが愛する家族を理不尽な暴力で失った遺族の怒りは理解できる。ただ、遺族の感情をストレートに  量刑に反映することには危うさも感じられる、とか厳罰主義に偏るのはどうかとなん癖をつけている。
そもそも被害者は一人だから無期懲役だとか二人だから死刑だとかという量刑の基準もおかしい話しだ。また、犯人は少年だからその年齢を考慮すべきだとかという論理も今は少年法があるから従わざるを得ないがそれもおかしい。そして犯罪が冷酷無比だとか犯人が反省をしている、だからそれを量刑に反映させるという論理も滑稽としか言いようが無い。
何事も人の命に代えがたい。従い何人も人の命を奪うものはその生存はもはや保障されないという原点に立ち返る必要があろう。極端に言えば、人間の生命を奪ったものは何人もその存在は否定されるべきだ。わずかに考慮せねばならないのは免罪への対応だけだ。

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