無差別犯罪の抑止力について
またまた無差別殺人が発生した。茨城県土浦市で8人が殺傷された。一人死亡、二人重傷という。犯人は金川真大という24歳無職の男性だ。
被害者はたまたまその日、そのときにその場にいただけで犯人とは何のかかわりもないのに尊い命を奪われた。これを単に運が悪かったというだけで済ますことが出来ようか。何故こんな運命に遭遇しなければならなかったのだろうか。全く不条理の世界といわざるを得ない。
そしてこれから長期にわたって司法的対応のためこの犯罪者に多額の社会的費用を投じることになる。犯人を出来るだけ早くこの世から抹殺することがその社会的コストを低減することになりそれが社会に寄与することになるのにそれもままならない。社会はそれでもこの犯罪者の存在価値を認め命を永らえようとするのだろうか。何ゆえに社会はかかる極悪非道の犯罪者を釈迦りきに保護しようとするのだろうか。そのことも不条理・理不尽といわずしてなんといおうか。
人間が同じ人間に何の理由もなく命を奪われる、こんな悲劇は二度と起こしてはならないという言葉がむなしく聴こえるだけだがされば二度と起こさない犯罪抑止力なんてこの世に期待できるのだろうか。一つだけ考えられる可能性は教育に他ならない。人間が人間に殺傷を加えるのはあってはならないことだと徹底的に教え込むことだと思う。金川真大(かながわまさひろ)という犯人の名前を見ると姓名とも左右対称で思うに両親は円満あるいは人間として偏りがないということを願って命名したのではないだろうか。学校教育のみならず家庭においても人を傷つけてはならないと親が子供を諭すなどとはとんと聞いたことがない。無差別殺人のみならず犯罪そのものの抑止力について考えるべきではないか。ここにも急がば回れのことわざが有効と思えてならない。
なおこのような重大な犯罪を犯したのに犯人が心神喪失とか心神耗弱であれば刑法第39条はその責任を問えないと規定している。誰がどのようないきさつでかかる法律を作ったのか知る由もないがかかる犯罪者は多かれ少なかれ精神的に異常者であると断じざるを得ない。さればそのような法律が存在すること自体矛盾があると思えるのだが。
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