2008年7月 8日 (火)

恥を知らない面々(その3)

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拉致被害者5人を北朝鮮へ戻すべきだったという恐ろしいことを公言する国会議員がいる。
それは自民党の加藤紘一氏である。日本BS放送の番組に出演し、2002年に北朝鮮から一時帰国した曽我ひとみさんら拉致被害者5人に関し、同国に戻さないとした当時の政府決定について「国家と国家の約束だから、戻した方がよかった。安倍晋三前首相さんを中心に返すべきでないとなったが、その辺が今、日朝の間で打開できない理由だと思う」と述べ、官房副長官として永住帰国への方針転換を主導した安倍氏の対応に問題があったとの認識を示した。また彼は「戻していれば現状のようにはならなかった。『また来てください』と何度も何度も両国間を交流していた。一回返すと平壌は殺してしまうんじゃないかと言われたが、そこが安倍氏らとの外交感覚の差だ。そんなことができるはずがない」と述べたという。 

これに対して、2ちゃんねるの掲示板で指摘された主だった批判は次のようなものである。
「は? このおっさん頭大丈夫か???? 」
「加藤、エロタク、古賀、二階、福田、小沢、福島を北朝鮮に渡すから拉致被害者全員返せ 」
「なんでこんな糞が政治家やれてんの?」
「誘拐犯に自分の娘を返すって事か 」
「すごいなこいつ・・・・・・ 拉致された被害者を犯人の所に帰せって・・・・・・ 法治国家に居る立法をつかさどる人の言う事じゃないだろ・・・・・」
「脳に蛆でも湧いてるとしか思えん・・・ 何十年も拉致で引き裂かれたのに、また返せとか・・・売国ってレベルじゃねぇ・・・本当に日本人かこいつ?いや人なのか? 」
「泥棒に追い銭するような馬鹿政治家。 」
「誘拐犯から、やっと自分の子供を取り戻せたのに 誘拐犯が戻せと言うので、戻す馬鹿がどこにいる? 」
「国民を守るのが国家なのに。その国民に再度ならず国家へ戻るよう指示することが外交と思っている。」

要するに誘拐犯に一度返してやるからまた戻せよ、といわれそれを真に受け返そうというのとおんなじ考えだ。
自分が拉致された家族の身内でもそんなことを言えるだろうか。家族、親族のつながりを無残に引き裂かれ、しかもその国に拉致されたままに放置されている状況に対する
情勢判断の欠如は言うに及ばず北朝鮮という国が独裁国家であり、民主主義的発想が通用しない特別の国であることの認識について大きくずれている国会議員の言動には
開いた口がふさがらない。

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2008年6月24日 (火)

恥を知らない面々(その2)

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 恥を知らない面々、次は毎日新聞の巻だ。
毎日新聞の英語版サイト(Mainichi Daily News)で過去5~6年間にわたって世界に発信したと言う「変態ニュース」だ。執筆者はオーストラリア出身でMainichi Daily New編集長代理ライアン・コネルという人物。
以下はその一例(英語の発信文を訳したのもの)であるが、とてもじゃないがまともに読めない。
■思春期の受験生の集中力を増すために母親はフェラ●オで息子の性的欲望を解消する。
■24時間オルガズムが止まらない病気で苦しむ日本人女性の数が増えている
■六本木のあるレストランでは、コックは食事の前にその材料となる動物と獣姦する
■福岡の米祭りは、顔にベトベトの白い液体を塗るため、AV業界が「顔射」と呼ぶものによく似ている
■日本人の若い女性はファーストフードを食べると性的狂乱状態になる
■日本人主婦は皆コインランドリーに附属のコインシャワーで売春している
■日本のティーンたちはバイアグラを使ってウサギのようにセックスをする
■日本の最新の流行 : 70歳の売春婦
■老人の売春婦の人気にもかかわらず、日本では小学生の売春婦にも仕事がある
■屋外でセックスをすれば、犬の散歩がもっと楽しいものになる
■日本の女子高生は、刺激のためにノーブラ・ノーパンになる
■利益は痛みという犠牲を伴う、と十代の売春婦は発見する
■ほとんどすべての漁師は海でマンタとSEXしている
■男色は日本の伝統。八坂神社では女装祭りを行っている
■日本男子は柔道や空手の部活で男相手に童貞を捨てている
■日本の首相は結婚生活ではなくオナニーで政権が取れると言っている
■横浜の女装祭りはゲイの宣伝になる
■日本人女性の55%は、出会ったその日に男と寝る。
 (失恋した女性や孤独な女性がどのようにして一夜で男と寝るか、という記事)
■かつてパールハーバーと南京大虐殺を起こした日本政府が、
 ペドフィル(児童性愛者)向けのマンガを作ってオタクを自衛隊にひきつけようとしている。
などなどなど・・・。


こんな日本並びに日本人にとって恥さらしの記事が毎日新聞社のコントロールもなしに世界に発信しつづけられて来たということは驚くほかない。その意図は、単に自分の本を売り込むためと言うよりは日本と日本人を貶めるためと言わざるを得ない。新聞社の良心・倫理精神はどこへ行ったのか。こんな不道徳な新聞は読む気にならない。ミットモナイ、マトモジャナイ、ナサケナイ、アイタクチガフサガラナイ、ハズカシクテコドモニミセラレナイ、クダラナイ、 ハシタナイ、ダラシナイ、これみんな毎日新聞に呈上。

ちなみに、毎日新聞社は非難ごうごうを受け「ご批判は謙虚に受け止め、削除する措置を取りました」と報じている。


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2008年6月22日 (日)

恥を知らない面々(その1)

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恥を知らない面々(その1)
『永世死刑執行人 鳩山法相。  「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。  またの名、死に神。 』
これは朝日新聞が6月18日の時事寸評コラム「素粒子」に書き込んだ記事だ。当然槍玉に挙げられた鳩山法相は「大変な問題だ。そういう軽率な文章を平気で載せるということ自体が、世の中を悪くしている」と批判、「司法の慎重な判断、法律の規定により、私も苦しんだ揚げ句に執行した。また(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」と強く抗議している。
これに対する朝日新聞の言い分は「『素粒子』は、世の中の様々な出来事を題材に、短い文章で辛口の批評をするコラムです。鳩山氏や関係者を中傷する意図は全くありません」というものだ。朝日新聞は、今回の宮崎死刑囚の執行について異例のスピードとも指摘している。
然るに現行の刑事訴訟法では、しっかりと死刑確定後6ヵ月以内の執行が定められている。これは決して異例のスピードではなく、死刑が確定されて2年4ヵ月が経過している。つまり今まで6ヵ月以内の執行をして来なかった法務大臣が法律に違反をしてきたということになる。
かかる事情を承知の上で朝日はこのような法務大臣に対する誹謗中傷記事を書いたわけだ。
ということは、法を遵守し法に則って施行する法務大臣にぺけをつけたことになる。法治国家においてそういう言論が天下の大新聞から出されるとは開いた口がふさがらない。
このような新聞社が言論の自由とか表現の自由とか言いたい放題で実はこのように法を曲げることを勧めているのだから何のことは無い。
第一死刑確定から2年4ヵ月も国民の血税でただ飯を食わしておいたことの方が問題視されてしかるべきなのにこのざまだ。さすがに日本より中国を愛する新聞社だ。人を誹謗中傷しても一切謝罪しない。人権を蹂躙しているのに気が付かないふりをする。とにかく困った新聞社だ。

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2008年6月17日 (火)

東京・秋葉原無差別殺傷事件(つづき)

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現行犯で逮捕された加藤智大容疑者の取調べが始まって聞こえて来るのは、容疑者の親が憎い、社会が悪い、会社が悪いそして殺すのは誰でも良かったという発言などメディア経由の断片的言葉だけだ。殺すのは誰でも良かったという容疑者の発言はこれまでに起きた類似の事件に共通している。これに対して評論家や学者もああでもない、こうでもないと相も変らぬ議論を重ねているだけで再発防止の決め手は見出しえないでいる。歩行者天国を中止するとか問題のダガーナイフの取り扱いを取りやめるとかいずれも後追いの弥縫策でお茶を濁す形で終わっている。他の事犯でも警備員や監視カメラの導入などいずれにしても防犯対策の域を出ていない。一方、検察庁では裁判向けの証拠調べそして罪をいかに問うかの対応に終始し、原因究明までには及ばないと思わざるを得ない。
そこで提案だが、検察による初期の取調べの段階から心理学とか社会犯罪学などの専門家を参加させて病巣の深層心理を抉り出し再発防止のための抜本的方策を講じるべきだと思うのだがいかがだろうか。もとより現在の刑法上の制度とか法律の改正を求められるのは論を待たない。いずれにしろ、今後も同じような凶悪犯罪が繰り返し発生するのをいかに防ぐか急務だ。

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2008年6月11日 (水)

東京・秋葉原の無差別殺傷事件

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東京・秋葉原でまた若者の理不尽な凶行による殺傷事件が起きた。死者7人、重軽傷者10人(いずれも平成20年6月11日現在)という惨事になった。
夫々の人が夫々の場所を出発し夫々の目的地に向かう一瞬に遭遇した災難であった。
被害にあわれた人に友人4人組がいて一緒に歩いていて二人が車に轢かれ死亡したと言う。残され生き延びたあとの二人との差は恐らく1秒あったかどうかだろう。現場にたどり着くまでにどこかで一秒の間があったとしたら、例えば信号が赤だったら死なないで済んだわけでこれも一期一会の世界、いや一期一会と同時に一期一離に遭遇したと言えるのではない。いみじくも歩行者天国が歩行者地獄になったわけで、天国と地獄の差も紙一重と言える。
果たしてその境目はどこにあるのだろう。やはり親鸞の言うとおりだろうか。でもやはり善人と悪人の区別がなくなったら大問題になる。残された親族や友人が、神はなんてこんなことをするのかと涙を抑えきれずもらすが亡くなられた人たちはなんて言っているのか聞きたいものだ。はなはだ不謹慎な発言になることお許しいただくとして、歩行者天国を歩いていて地獄へ来ちゃったと言っているかもしれない。
いずれにしろ続発する凶悪にして非道、人間としてあるまじき行為に言葉もない。
死刑反対論者はこれでも死刑にするなと言い張るのだろうか。もし犯人が少年だったらそれでも更生させようと人権屋は主張するのだろうか。このような罪悪人を国民の税金でただ食いさせ生き延びさせるどんな意味があるのだろうか。
毎度のことだがこんな事件が起きる度にああだこうだと答えのない議論をするが、とどのつまりやはり人の命を奪うことは罪悪だと子供のときからしっかり教育することではないのか。

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2008年5月 1日 (木)

チューリップの花を切る不届きもの

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トルコ原産のチューリップはターバン(チュリパン:tulipan:頭巾)に似ているところから名がついたと言われる。
その花言葉は、 博愛であり思いやりでありそして美しい目なのだそうだ。
最近どこの何者だか分からないがそのチューリップを頭から切り取り捨てる輩が現われた。
しかも1本だけでなく何十本も犠牲になったという。
チューリップを国花と定めている国はトルコはもとよりオランダ、ベルギーそれにアフガニスタンである。
チューリップを国花とするこれらの国がチューリップを無残に切り取られるのを聞いたらどう思うだろうか。
まるで自分の首を切られる思いに駆られるのではないだろうか。なさけなく、やるせない。

この輩は博愛なんぞ微塵もなく、人間への思いやりも欠落し、多分、美しい目どころか、にごった目をしているのではないか。どんな理由があるのか知る由もないが多分今はやりの殺人鬼がほざくごとくむしゃくしゃしてやった、ということだろう。それとも花の美しさに自らの劣等感と嫉妬の高まりを覚え、チューリップをやり込めたく錯誤したか。
ともかく花をめでる気持ちもないとは人間、心も大いに荒んでいることだろう。哀れな人間だ、いや人間というのもおこがましい。普通は荒んだ心が花をみて和まされるのだが、このような人の場合は花が人間の荒んだ心をみてあざけっているに違いない。
昔なら不届き千万なり、と返す刀で一刀両断にされるところだ。

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2008年4月23日 (水)

光市母子殺人事件の弁護士たち

光市母子殺人事件の広島高等裁判所による差戻し審は1審2審の無期懲役刑を破棄し死刑という判断がなされた。極悪非道の凶悪犯に何の罪もない善良な市民が、命を奪われ、その遺族が悲しみのどん底に落とされたのに、人権主義の建前の下に、常に加害者の救済にばかり重きを置き、被害者や遺族の気持ちを踏みにじり続けて来た司法制度にも、「正義」というものが残されていたことが分かったといえるのではないか。そのことは、判決後の記者会見で、「9年間という長い月日を支えてきたものはなんだったのでしょうか」という記者の質問に、遺族の本村洋さんの 「この質問は非常に難しい質問ですが、妻と娘の命を無駄にしたくないと思い、犯罪被害者としての活動は続けてきました。そして、裁判を最後まで腐らずに傍聴することができたのは、必ず正義が実現される、この国は絶対に人の命を軽んじ、不正義をまかり通せる国ではない、どこかで遺族の思いを司法が酌んでくれると信じてきたからだと思っています」との答えに尽くされている。そして「命を奪った者は自らの命をもって償う」という、ごく当たり前のことが、ようやく日の目を見ることになったともいえよう。
それにしても今回の裁判では加害者の21人という大弁護団による弁護活動の論点がことごとく完膚なきまでに否定されたことが画期的であったといえる。作家の佐木隆三さんが「弁護団の新主張は、まさに自爆行為だったと私は思っています。本当に被告のためになったんだろうかと。もっと被告の生きて償いたいという素直な心を前面に出して、ひたすら謝罪すべきだった」と述べているように被告にとってむしろ百害あって一利なしといえるのではないか。文字通り彼らは「KY」集団と言ってよいのではないか。

奇想天外、荒唐無稽な論理で詭弁を弄し、弁護のためには手段を選ばずとの考えがいかに社会的通念に背反しているか、また被害者家族の名誉と人格を傷つけ、あまつさえ冒涜と屈辱の限りを尽くし、思いやりの一片だに配慮しないKY弁護団は、その面目丸つぶれといって差し支えないだろう。一体全体弁護士としての資格が本当にあるかと問わざるを得ない。中でも弁護団長の安田好弘弁護士は今回の裁判でも神聖なる法廷でただ一人ネクタイも着用していない。法廷の尊厳を著しく傷つけている。安田弁護士は死刑廃止論者として夙に名を馳せているが、それは狂信性を帯びており、もはや死刑廃止狂信信者につける薬はないといわざるをえない。ちなみに彼は一昨年3月韓国で「「死刑制度問題で日本は低能児水準に他ならない。文化だけでなく人権と刑事訴訟の分野でも『韓流』が必要だ。」と、とんでもない発言を行っている。

さてそして犯人のことだ。彼がかって獄中から友人宛送ったという手紙の内容を再現しよう。

    ま、しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?
    知ってま。
    ありゃーちょうしづいてるとボクもね、思うとりました。
    知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは
    出すぎてしまった。
    私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが
    今の世だ。
    ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、
    私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
    犬がある日かわいい犬と出会った。
    そのまま"やっちゃった"・・・これは罪でしょうか
    5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、
    刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。
    キタナイ外へ出る時は完全究極体で出たい。
    じゃないと2度目のぎせい者がでるかも

この凶悪犯は、性的欲求を理性で抑えることは出来ず、万一無期懲役などという判決で8年で娑婆に出てきたときは再犯することは明々白々ということが出来る。
その犠牲者が出るのを未然に防いだだけでも今回の死刑判決の意味は大きい。

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2008年4月16日 (水)

光市母子殺人事件弁護士に対する懲戒請求と異議申出

再々度光市母子殺人事件の弁護士のことです。
昨年7月、差戻し審の第1回公判で女性を殺害後強姦したことを「死者を復活させる儀式」とか科学的にも常識的にも到底理解できない主張をし、被害者を侮辱し死者の尊厳を傷つけたことなど弁護士としてふさわしくないとの理由で弁護士法第57条及び58条に基づき懲戒請求を要求した。これに対し本年3月「弁護人はその職責を遂行する過程において、弁護活動の内容、方法等が仮に社会的批判の対象となるものであっても、それが何らかの証拠に基づくものであって、被告人の権利擁護にとって必要なものであると考えられ、かつ、当該弁護活動の内容、方法等がことさらに被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を害する目的に出たものでない以上、職責上当然に許されるべきものである」などの理由で懲戒するに当らないとの弁護士会の通知書を受け取った。以下は、弁護士会の判定に納得できないとして弁護士法第64条に基づき異議申出をした全文である。

(1)社会通念上通用しない弁護活動
懲戒対象弁護士は本事案弁護活動の一環として「被害者女性を殺害後姦淫したのは死者を復活させる儀式だ」と主張しそれを「それが社会的批判の対象となるものであってもそれは何らかの証拠に基づくものであって被告人の権利擁護にとって必要なものであると考えられ、・・・」として懲戒処分に相当しないとの判定を下している。
しかるに、かかる対象弁護士の主張は社会通念上通用しない言動であることは明らかである。もしその筋書きが弁護士の創作によるものではなく犯人自身の思いつきであるとすれば、それは社会通念上受け容れがたいものゆえふさわしくないとして諌めるべきものであろう。社会通念上いかにそれが不適切なものであるかは、次の例が何よりの証左になるものと考える。       
小職及び一般の国民がかかる弁護活動は荒唐無稽だと見做しているのみならず、対象弁護士の仲間である第一東京弁護士会副会長大澤孝征氏が公開テレビ番組の席上「弁護活動は常識の範囲で行われるべき」ものあって「かかる弁護活動は不可解で不合理な話しだ」また「事実を曲げようとしている」「同じ弁護士として恥ずかしい」(以上2007年5月25日TBS系「みのもんたの朝ズバ」等の番組より)とも発言している。
加えて大阪弁護士会の橋下徹弁護士(現大阪府知事)もかかる弁護活動は常識を逸脱している、との考えで当該弁護士等に懲戒請求を申請することを促している事実がある。
 また懲戒処分に相当しない理由として「当該弁護活動の内容、方法等がことさらに被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を害する目的に出たものでない以上、職責上当然に許されるべきものである」と追認主張しているが、よしんば「当該弁護活動の内容、方法等がことさらに被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を害する目的に出たものでない」とはいえ、結果として被害者あるいは関係者の名誉、人格その他の権利を著しく害していることは明々白々である。
 一方、裏を返せば女性を乱暴し死に至らしめた場合、乱暴したのではなく生き返らせるための儀式だったといえばよいことを弁護士会は容認したことになるが、そのことは将来安易に模倣する性犯罪者が多発する恐れなしとしない。その際、対象弁護士はその責任を免れないであろう。
(2)被害者家族の名誉・人格の侵害と冒涜・侮辱
弁護士法第一条で「弁護士は基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とうたっている。犯人弁護のためには手段を選ばず、しかもその弁護活動が被害者の人権を無視し、あまつさえ数多の冒涜と侮辱にさらすことはかかる弁護士理念あるいは使命に背反するものである。
被害者あるいはその家族の名誉、人格その他の権利を害し、冒涜と屈辱をもたらしている懲戒対象弁護士の言動の例は法廷以外にも枚挙に暇がないがここでは最新の例として去る2008年(平成20年)4月3日号の週刊新潮誌に掲載された記事を別添するのでご覧いただこう。
その内容詳細は記事の通りであるが、マスメディアでさえ、「弁護士たちの鬼畜発言録」として糾弾している。その事実を対象弁護士並びに今回懲戒処分しないと決定した第二東京弁護士会会長は何と捉えているのか聞きたい。記事の中での弁護士たちの言動はとてもじゃないが尋常の沙汰でないとしかいいようがない。被害者家族にとっては文字通り傷に塩を塗るたぐいといわざるをえない。
鬼畜とは辞書によれば「人非人」と同じで「人の道に外れたことを平気でする人」と解説されている。記事の中では対象弁護士中、岩井信弁護士の名前が見当たらないがこの記事をもってしても少なくとも残り3名の弁護士は弁護士としての人格・資質に欠落があり資格にふさわしくないと見做さざるをえない。
(3)「極めて大量」の懲戒請求事実
今回受領した懲戒しないことの議決書の中に「本件事件に関連して4人の弁護人の全員又は一部の者に対し下記懲戒事由の全部又は一部を懲戒事由とする極めて大量の懲戒請求が、本件懲戒請求とほぼ同時期に申し立てられている。」との記載がある。
「極めて大量」の懲戒請求があることをいみじくも認識しつつそれを一方的に無視し懲戒に相当しないという判断は謬見といわざるをえない。
一説には少なくとも7,000通以上の懲戒請求があったといわれている。7,000人の国民が署名をして懲戒が必要であると申告している、その事実を看過することは許されないのではないか。
   
最後に以下付言することをお許し頂きたい。
何物にもかけがえのない命を何の理由もなしに奪い去った極悪非道の犯罪者弁護のためには、人権主義を盾に、手段を選ばない弁護の限りを尽くし、他方、何の落ち度もない最愛の家族を無残に殺され、悲しみのどん底にある被害者家族は完全に無視どころか冒涜と屈辱の限りを尽くし、人間性のかけらも持ち合わせないがごとき弁護活動がはびこるならば社会正義の実現はおろかそれを維持することさえ難しいといわざるをえない。
社会で特権階級に位置する弁護士であればこそ厳しく糾弾されねばならないと考えるものである。
なお小職は巷にいわれるごとく既述橋下徹弁護士の煽動にあおられ懲戒請求を行った事実はなく、単に一般に公開された請求フォーマットを便宜上利用しただけで第三者の意見に左右されることなく、自らの意思で懲戒請求を行ったものであること念を押しておきたい。
以 上

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2008年3月24日 (月)

無差別犯罪の抑止力について

またまた無差別殺人が発生した。茨城県土浦市で8人が殺傷された。一人死亡、二人重傷という。犯人は金川真大という24歳無職の男性だ。
被害者はたまたまその日、そのときにその場にいただけで犯人とは何のかかわりもないのに尊い命を奪われた。これを単に運が悪かったというだけで済ますことが出来ようか。何故こんな運命に遭遇しなければならなかったのだろうか。全く不条理の世界といわざるを得ない。
そしてこれから長期にわたって司法的対応のためこの犯罪者に多額の社会的費用を投じることになる。犯人を出来るだけ早くこの世から抹殺することがその社会的コストを低減することになりそれが社会に寄与することになるのにそれもままならない。社会はそれでもこの犯罪者の存在価値を認め命を永らえようとするのだろうか。何ゆえに社会はかかる極悪非道の犯罪者を釈迦りきに保護しようとするのだろうか。そのことも不条理・理不尽といわずしてなんといおうか。
人間が同じ人間に何の理由もなく命を奪われる、こんな悲劇は二度と起こしてはならないという言葉がむなしく聴こえるだけだがされば二度と起こさない犯罪抑止力なんてこの世に期待できるのだろうか。一つだけ考えられる可能性は教育に他ならない。人間が人間に殺傷を加えるのはあってはならないことだと徹底的に教え込むことだと思う。金川真大(かながわまさひろ)という犯人の名前を見ると姓名とも左右対称で思うに両親は円満あるいは人間として偏りがないということを願って命名したのではないだろうか。学校教育のみならず家庭においても人を傷つけてはならないと親が子供を諭すなどとはとんと聞いたことがない。無差別殺人のみならず犯罪そのものの抑止力について考えるべきではないか。ここにも急がば回れのことわざが有効と思えてならない。
なおこのような重大な犯罪を犯したのに犯人が心神喪失とか心神耗弱であれば刑法第39条はその責任を問えないと規定している。誰がどのようないきさつでかかる法律を作ったのか知る由もないがかかる犯罪者は多かれ少なかれ精神的に異常者であると断じざるを得ない。さればそのような法律が存在すること自体矛盾があると思えるのだが。

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2008年3月16日 (日)

再びドイツ見聞記(その3)

ドイツのスーパーマーケット
ドイツのスーパーマーケットも便利になりました。昔は土曜日は2時まで、そして日曜日は休みと決まっていました。現在は日曜日は変わらず休みですが土曜日は普段と同じく朝7時から夜8時まで営業しています。
ちなみにパン屋さんも早朝7時から営業していますので朝はパンを常食としている人には便利ですね。ドイツにはパン屋はいついつまでに仕込みを行いいついつまでに焼き上げいついつまでに販売をせよというパン屋法というのがあったのですが今はどうなったのか知りたいものです。
大きなスーパーになると同じ商品でもメーカーごとに棚があってそこに並んでいますから一度見てああないわとあきらめる必要はありません。またたまたま行き付けのスーパーに臨む商品が見つからなかったときでも他のスーパーへ行くとおいてあることがしばしばです。野菜果物売り場ではバナナの星が出たものは無料で誰でもその場で食べても良いところもありました。しかしなんといってもワインの国ですからワインは安いものから高いものまでより取り見取りです。安いものは1瓶720mlで1.69ユーロ(約270円)というのがありましたがワインには付加価値税が19%かかりますから税抜きではなんと200円ちょっとということになります。本当にワインは水より安いのです。通常これらの超廉価ワインは料理酒として利用しているようですがワインとして飲んでもそんなに違和感はありません。なお一般の食品にかかる付加価値税は7%ですから日本で消費税率を上げるとしても食品とそれ以外は別立てにすべきでしょう。
アメリカと同じように買い物のカートは大変大きくて日本のスーパーでは大きすぎて他の買い物客の邪魔になると思います。そこで少量の食料品などを買い込むときどうするかというと自分が持ち込んだ買い物袋に入れレジでベルトコンベアに取り出すということをやります。初めはなんだか万引きでもするようで気が引けますが・・・。ちなみにドイツでも環境問題がうるさくなっており買い物袋(マイバック)を自分で持ち込む人が多く袋も各スーパーが自社特有の買い物袋いわゆるエコバックを用意しております。なかなか気の利いたデザインで一枚1ユーロ(約160円)で手に入ります。
レジの係りは昔は若くてかわいい子が沢山いましたが今は皆年寄りのおばあさんが多いようです。それでも自分の会計が来たときはグン・ターク、南の地方ではグリュス・ゴット(こんにちは)と挨拶してくれます。週末に機嫌が良いときなどシェーネス・ボーヘンエンデ(良い週末を)といってくれます。この言葉を得たときは、売り子に人種差別がないか、こちらが支払いなどでうまく対応したかのどちらかでしょう。

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